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映画「幸福な食卓」

立ち止まりたい、
もう動けない
後戻りしたい


前に、進めなくなる時ありますか

映画「幸福な食卓」
エンディングで、後ろを振り返り振り返りしながら歩き続け
笑顔になっていく佐和子

16歳の身に起こるには、あまりにもショックな出来事を
食卓を囲む家族ががあることで、乗り越えていける
という話を描きたかったのでしょうか?

いまいち「食卓」がキーワードというかキープレイスに思えませんでしたけど。
確かに、「家族」や「それぞれの人が持つ役割」はキーだと思わされるんですけどね。
構成として、家族が元の役割に復帰して終結するのですがなぜ「食卓」に象徴されたのかを
描き足りていないように思えました。

「大丈夫、気づかないうちに守られてるから」
大浦くんの言葉
最後に、佐和子が噛み締める言葉。

そう信じられ、歩き出せる佐和子はなんて幸せな子どもなのでしょう。
守られている、繋がっているときは気づけない幸運。

妻という役割で家庭にいることや、成績優秀な優等生や、家計を支えるために働くお父さんや
社会的なわかりやすい枠を放棄したものばかりの家族。それぞれが色々な役割を放棄していくうちに
その役割をすすんで担いたいと気づく。

幸福な家族であることは、間違いないですね。


立ち止まりたくなっても、後戻りしたくなっても、逃げ出したくなっても
残念だけど、そんなことはできないことも多々ありますが。
「真剣であることをやめれば」生きるのは一旦楽になってくれるのだそうです。
私は、なによりこの言葉を自分と自分が想う大切な人たちのために噛み締めました。
生きていくことは、続いていくことなので。

映画「それでもボクはやってない」

映画「それでもボクはやっていない」
主人公が拘留された時。
当番弁護士から裁判の難しさを語られた時
重く黒い幕が落ちてきたかのように、呆然とする瞬間がわかった。

拘留中の被疑者の生活
声のかけられ方、言ってみれば扱われ方から被疑者と(きっと容疑者も犯人も)警察は人間じゃないと感じる。
あまりにも、俗世と隔離された世界。
主人公がしていることは「無実を主張」していたと言うこと
戸惑いながら、絶望しながら、取り乱しながら
「無実を主張」し続けることの困難さを観る側は感じる。
日本の法制度の残酷さと国家権力の強さを、ゆっくりと知る。
一時、観手の心を掴みかけた裁判官が、国家権力に軽々と吹き飛ばされるシーンが見事だった。

映画の、まだまだ中盤シーンだったと思うが、実は結末を示唆するシーンんなのだと思う。
主人公の台詞「心のどこかで、裁判官はわかってくれるんじゃないかと思っていた」

変わった裁判官が小日向文世だというところが
いつも、気の弱そうな脇役イメージが強い彼だということが
結末を見る時、強く響く気がする。


法とはなんのためにあるのか、
けして人を幸せにするためにあるわけでは無い

そう再確認した映画にあった。

監督が描くのはやはり人
人が人を傷つけ、
惑わし
苦しめ
幸せにし
歩ませていく

主人公が否認を続けることは、誰も幸せにしない
むしろ、被害者に辛い現実を忘れる機会を与えない


それでも
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